「ラテンアメリカから見た映画の世界」映画大学in 神戸(7/28~30)

またまた、直前ですが、何と今年で46回を迎える全国映連主催(映画鑑賞団体全国連絡会議)の映画大学

今回は我が地元、神戸ということで、お声がかかり、明日から神戸。タイトルは「ラテンアメリカから見た映画の世界」これまで、ずっと内容を書き続けているのだが、長過ぎる…。これ、70分で収まらない!と思いながらも、ラテンアメリカのしぶとい製作、上映、観客たちのことを伝えたくて、自然と力が入り、書き進んでしまう。折角なので、ここでは、さわりだけご紹介しよう。まだ、発表原稿、書いていないのに…。

<欧米とラテンアメリカ映画>

ラテンアメリカの映画業界は、この10年で大きく変わった。オリジナルの脚本を元に映画を作れる人、それも、テレビではなく、映画作品を作れる人がラテンアメリカには数多くいる。ただ、以前は資金不足で、アイデアを暖め、脚本を書いてから撮影に至るまで、ひどい場合には10年以上かかる作品もあった。

でも、今はネタ切れのハリウッドと、映画を目指す若者がとんと少なくなったヨーロッパで、挑戦的なオリジナル企画と脚本が重宝されている。特にヨーロッパでは、ラテンアメリカとの共同製作に助成金が出る。これも、ヨーロッパにいるラテンアメリカの映画人たちが、本国の映画協会と組んで、そこここでラテンアメリカ映画祭をして、作品を知らしめたおかげだ。

邦画も、ヨーロッパで特集上映があるけれど、一つ違うのは、出来上がった映画だけではなく、脚本やとりかかっている作品(cine en construccón)のコンペを行い賞金を出したり、制作費の貸付けを行い確実に完成にこぎつけさせることだ。それを知っているヨーロッパの製作会社やセラー(作品を世界に売り込む人々)が来て、良い企画に投資したり、投資をつのったりする。

 ラテンアメリカに資金がないから、という名目で出している助成金は、実は、自国の映画産業(製作やセラー、編集やMAを行うラボ)を守っているのだ。

今やメキシコ北部にはハリウッド御用達の大規模ラボがあり、ラテンアメリカ諸国でも、日進月歩の技術革新で低予算で編集や音入れができるラボは、数々ある。わざわざヨーロッパに行く必要はないのに、助成金をもらうと、その国(特にフランス)に半分以上を落とさなくてはならない。日本のODA(開発援助)と同じくヒモ付きなのである。(ODAで資金援助した案件には、もれなく日本の商社と企業がついてくる)

<予算に圧力うける監督たち>

米国との共同製作は、助成金というより、投資なので、それでつぶれるラテンアメリカの監督もいる。誰とは言わないが、自国で、一作目を撮った後に、映画祭などで評価され、すぐに米国のプロデューサーがついて撮り始めた監督たちだ。一作目が、心に残る作品だったのに、二作目になって、急に現場の齟齬がスクリーンに出てしまう、という例を何本も観た。監督は、現場で何があろうが、結果を問われる。だから、強靭な精神を持っていないと、不協和音がスクリーンに漏れでてしまうのだ。

それは大作を求められて製作費が莫大なものになった時にも現れる。スペインやラテンアメリカは、低予算の中で、密室を余儀なくされたり、照明が立てられなかったりするのだが、そこで俳優やスタッフが協力し、工夫することで、逆に思わぬ緊張感が出てきたりするものだ。そんな作品のあとで、思わぬほどの予算を任されてしまうと、物語の緻密さや、演出ではなく、有名俳優や特殊効果、セットや空撮など、ありとあらゆるものを入れてしまって、中身が空虚になる。あ〜勿体ないなあ、と思う。

投資する人々は、当たり前だが、リターンを求めるのが常なので、資金が集まりすぎると、口を出されなくても、ものすごいプレッシャーがあるのだと思う。一時期、最高潮かと思われた、これらのスペイン、ラテンアメリカの監督たちは、いま撮れていない。そのうち復活してくるだろうが、実は一度、大きな予算でこけると、ずっと低予算で撮ってきたよりも、復活が遅い。

<バランスがとれる監督たち>

うまくバランスが取れる監督は、大作が終わると、短編を撮ったり、人の短編を手伝ったりしながら、自分が本当に作りたい作品のアイデアや脚本を何年もかけて練っている。最近、撮ってないなあ、と思うと、米国のテレビドラマや自国の舞台の演出をしたり、俳優で映画に出てたり、中には家具を手作りして売ってたりする監督もいる。

なにしろ、皆しぶとい。そして、皆、何を言われようが気にしない。

自分の人生だから…。

今の状況を見ると、一番初めに、イニャリトゥ、クアロン、デル・トロのメキシコ人監督3人組が、米国で一緒に製作会社をつくったのもうなずける気がする。「一人じゃ寂しいから」と言ってたが、同じ国の監督どおしの協力は、中々、心強い。もちろん、映画の質もあるけれど、彼らが割りと好きな事ができているように見えるのは、ハリウッド大手との10本の製作契約をとりつけたところにあるだろう。何しろ撮れる監督が3人いる上に、メキシコやラテンアメリカの若手監督にプロデューサーとして支援しているし、クアロンの息子も監督デビューしている。続編に頼るハリウッドにしてみれば、ネタの宝庫のような製作会社なのだから。

<若手監督が数多く生まれる理由>

ラテンアメリカの監督たちは、資金調達に苦労したことから、プロデューサー的な感覚を持たねば映画が作れない、という状況にあったことが、今の時代に役立っている。だから、気が合う監督どおしは、互いに相手のプロデューサー役を買ってでたり、良いと思った若手監督たちを支援する。映画学校の多さはもとより、この、メンター的な存在がいることで、次々と新人監督が世に出ているのだと、と思う。

あとは映画協会の存在だ。国によって違うが、たいてい文化省の下部組織でありながら、独立性を保ち、特にメキシコでは、情報通信会社が支払う税金の1割を映画に投資せよ、という法律まで可決させたほど、力がある。もちろん政権によって左右されるのだが、各国の映画協会のつながりがあることから、共同製作もしやすい。どの国にも映画祭があるので、共同製作することで可能性が広がる。制作費調達のための売り込みができる場も多い。大人(というか上層部)が、暖かく見守ってくれる、という感じだ。

それもこれも、日本や米国と違って映画会社の撮影所システムがなかったからだが、自国映画を推進しようとした映画協会が作られたことは、今の日本のインディペンデント映画の実情を見ると、ラテンアメリカにとって幸いだったと思える。なぜなら、ラテンアメリカでは、予算の大小はあれ、すべてがインディペンデント映画なのだから。

この続きは神戸から戻ってから。