カタルーニャ州首相、政府への返答はいかに?

日本のニュースは、選挙一色な感じですが、今朝のスペインのニュースでカタルーニャ州のプチデモン州首相が、政府に対して、「独立を宣言したのか、しなかったのか」を返答する期限が、今日の日本時間の夕方、ということで思い切って、長いブログを書くことにしました。(10分以内で読めます)

住民投票から、これまでの経緯については、この記事がとてもバランスがとれて冷静なものだと思うので貼っておきます。

Blogos 「めまいのようなカタルーニャの2週間」

この記事の中にも書かれているように、あの議会でのどっちつかず(「独立する権利は得たけれど保留」)のプチデモン州首相の演説に関して、中央政府のラホイ首相が、「独立宣言したのか、しなかったのか。イエスかノーか明確にせよ」
と要求。その締切が16日午前10時(日本時間で16日の午後5時)なのです。

<「ノー」以外は独立宣言と見なすラホイ首相>

返事は内容証明の速達書簡で送られるということで、もう送られているかもしれませんが、どちらにしても、州首相には憲法違反が突きつけられるでしょうし、「独立宣言をしなかった」と明らかに言う以外は、何を言っても、中央政府は憲法155条の自治権への介入手続きに入ると見られています。

しかし、すでに州警察のトラペロ本部長以下が全国裁判所で証言を行ったり、カタルーニャ州政府の財政チェックを行うなど、すでに、憲法155条の前倒しか、という意見もあります。

<パリ市長が仲介を提案>

これまで一度も使われなかった憲法155条が、どのように適用されるのか、様々な憶測が飛び交っていますが、どちらにしろ、住民投票阻止に国家警察を入れてしまったラホイ政権を見てしまった今では、かなりな強権発動になることが予想されます。

プチデモン州首相は国際的な仲介を求めていましたが、EUは「スペイン国内の問題なんで」と知らん顔。

そんな中、カタルーニャ出身のパリ市長が仲介の提案をしました。

La Vanguardia 記事(スペイン語)

カタルーニャはフランスを国境を接していて、マドリードよりもフランスの方が近いので、国境を越えて映画を良く観に行った、とカタルーニャ出身の映画監督のホセ・ルイス・ゲリンが話していたことを思い出しました。

<プチデモン州首相の動向>

今日のニュースでも、内相や公共事業相が、「独立宣言がなかった」と言えば、対話の可能性があるから、とテレビを通して説得しておりましたが、プチデモン州首相は、15日は、かつて「カタルーニャ国」を宣言した、(1934.10.6)元カタルーニャ州首相、リュリス・コンパニス氏没後77年の式典に出席しました

コンパニス元首相は独立宣言後、わずか10時間で軍により逮捕され、内戦後に亡命するもフランコ独裁政権にモンジュイックで銃殺されました。

プチデモン氏に関しては、元ジャーナリストで政治経験がない、とか、独立しか考えてない、などと書いている人もいますが、州首相がひとりで旗ふって出来る訳でもなく、これには、2006年からこれまでの過程で、中央政府との軋轢で独立への機運が高まったことと、カタルーニャ州議会や政府内での政局にも、大きな関係があると思うので、ここに書いておく事にします

<なぜ、独立の機運が高まったのか?>

なぜ、ここまでカタルーニャが独立を、という裏には、歴史もさることながら(遡ると自治権を奪われた18世紀のスペイン継承戦争までいきつく)、経済的なことよりは、カタルーニャの人々の「尊厳」が大きいのだと思います。

特に、2006年、サパテロ社会労働党政権下で、認められたカタルーニャ自治憲章(中央政府と歩み寄りもして住民投票も行われた)が、今の与党、国民党の違憲の訴えで、憲法裁判所で審議が始まり、4年たった2010年に内容の一部が違憲と判断され、大規模なデモが行われたからです。

2010年に「CiUカタルーニャ同盟」が野党の座から返り咲き、マス首相になりました。カタルーニャ同盟は、カタルーニャ民主集中党(CDC)と民主連合(UDC)とで構成されていましたが、独立に関して、民主連合は中央政府との協議ありきで一方的な独立には反対でした。

2011年の総選挙で、自治憲章を執拗に糾弾した国民党が政権を奪還。

2012年のカタルーニャ国民の日(La Diada:スペイン継承戦争でバルセロナが陥落した日)には、「我々は国家だ。我々が決断する」というスローガンで大規模デモが行われ、マス首相はラホイ首相との協定失敗の後、住民の独立の意志を問うため、議会を解散し前倒し選挙を行いますが、その頃から、マス氏に後を託したプジョル元カタルーニャ州首相の公金横領疑惑の報道が始まり、議席を減らすはめに。

連立を組んだのが、2003年から2010年の連立政権で力をつけ、2012年の選挙で、飛躍的に伸びた独立派のカタルーニャ左翼共和党(ERC)。

そこから、マス氏は、大きく独立への道を開こうとしますが、同盟を組んでいた穏健派の民主連合が同盟を解消すると発表。

2015年の州選挙でUDCは単独、CDCはERCなどと共闘するためにジュンツ・ペル・シ(JxSI)という「独立にイエスのために共に」闘うプラトフォームを作り、カタルーニャ国民会議という独立派民間団体の支援を受けました。一方で、左派ポデモスと小規模政党がカタルーニャ・シ・ケ・エス・ポット(CSQS)を構成するなど、選挙協力が目立った選挙でした。

投票率は75%。ジュンツ・ペル・シは、第一党となったものの135議席のうち、62議席と過半数に満たず。躍進したのが若きアルベルト・リベラを党首とする(超)右派の市民党と急進的に独立を求めるCUP(人民連合)という両極端の2党。

2度の首班指名でマス氏が過半数を得ることができず。マス氏と同じ民主集中党(CDC)で2011年からジローナ市長をつとめたプチデモン氏を候補として、人民連合の支援を得て、州首相になりました。

プチデモン氏は、ジローナ市でも人民連合との連立を経験済みだったことから、人民連合との連立には否定的なマス氏は、自ら退きました。

ということで、急進左派として、どことも組んでこなかったCUPの議会選挙での躍進と、州政権への参加が、今回の強行とも見える動きにつながったといえる。

<EUが冷たい理由:何もしなかったラホイ首相>

国民党が政権に返り咲いてから、これだけの動きがあることが見えていながら、ラホイ首相は、ほとんど何もしませんでした。

カタルーニャ州の元首相の一人は、「ラホイ首相は、カタルーニャ問題に関して、5年間、休暇を取っていた」というほど。
議会の過半数を獲得して首相になったのと、経済危機からの脱出をかかげたことで企業や経団連から支持されていることから自信満々で、カタルーニャ州に対しては、強硬な態度を示してきました。

国民党内の二重帳簿や大々的な汚職事件も、ラホイ首相にはふりかかっていない、という、どこかの国と良く似た状況です。

EUが冷たいのも、ラホイ首相に、話し合いを言っても、何もしてこなかったことに加え、他の地域に与える影響を考えるとなんと無責任なのだ、という怒りもあるのだと思います。一方のプチデモン州首相も、ラホイ首相に話し合いの提案を聞き入れられなかったことに加え、連立の人民連合からの圧力を中々、跳ね返せないことから、あの演説になってしまったのではないか、と。

もう少し、ヨーロッパ議会や議員に訴えるなど、州政府側からも何か策はなかったのか、と思いますが…。

ここに至るまで、「住民投票法」や独立賛成が多数の場合に適用する「移行法」が議会で承認され、その後、憲法裁判所で違憲判断されました。だから、プチデモン州首相は、議会に対して「独立手続きを保留する」よう要請したのです。

独立は求めても、一方的なのはいかがなものか、と思っている人々の想いは、イエスかノーかの二者択一の中では、中々反映されません。有権者の4割強が投票し、賛成が9割としても、残りの6割の人々の意見は、どうなのだろうか。投票率が低い日本の選挙結果と同様、いつも、考えてしまいます。

<今後はどうなるのか?>

どちらにしろ、EUの危機感を考えると、カタルーニャの人々が望んでいたように、ヨーロッパに属しながら、スペインから独立する方向にはいけそうにもありません。プチデモン州首相は、自分の政治生命よりも、議会で決まったことに責任を持つ、と言っています。ここで、中央政府の介入があれば、カタルーニャは泥沼状態になるかもしれません。

本来なら仲介役となるはずのフェリペ国王が、警察の介入で多数の負傷者が出た事には、一言も言及せず、憲法155条の適用をほのめかしたことには、誰もが驚きました。

これは、もうカタルーニャの「共和国として独立する」という言葉への反応としか思えません。スペイン内戦の前の第二次共和制の時に、王室は亡命を余儀なくされたこともあるし、内戦の後、フランコ政権が終わるまでスペインには戻れませんでしたから。

同時にラホイ首相に関しても、国民党の前身が、フランコ政権の閣僚が創設した「国民同盟」であることを考えると、共和国派は、内戦時代の敵です。ここには内戦の影響が色濃く出ている気がしますが、それでも、誰もが、あの時代には二度と戻りたくない、と思っているので、同じようなことにはならないでしょう。緊張が高まるのは確かです。

あとはどこに着地するか、ですが、ここまで来たら、法的措置だけを使いまくり、問題解決に臨まなかったラホイ首相に注目が集まるでしょう。今でも、数々の銀行や企業が、独立宣言するならカタルーニャから出て行く、という脅しをかけていますが、マス氏も、国際社会から認められない中での独立は困難だと言い始めています。

カタルーニャにとって、何が一番、良い方法なのか、今度は政治家たちが考える番です。

どちらにしても、今日、プチデモン州首相が、どのような返答をするのかが注目されます。