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ラテンな映画と監督たち(ベルリン映画祭1)

今年のベルリン映画祭には、かなり多彩なラテン系作品が出品されていたのですが、中でも注目を集めていたのがコンペに出品された3作品とパノラマ部門の1作品。

 個人的に一番期待していたのが、 これ。
グアテマラ出身ハイロ・ブスタマンテ監督
 Ixanul (Volcano) あえて出身と言ったのは、監督が現在フランス在住だからですが、この作品は全編カクチケル語で、主な登場人物はスペイン語が分からない設定です。
 
物語は、コーヒー農園があるIxanul(火山)の麓から、山を登ったところで、土地を借りて農作物を育てる両輪と独り娘のマリアの一家を中心にすすみます。土地を借りているので、そこで農作物が収穫できなければ、追い出される運命にある家族は、彼らにしてみれば上司である土地の監督主任とマリアを結婚させることに。

でも、17歳のマリアは、火山の向こうの世界を見てみたい。
コーヒー農園で働き、米国まで行くと豪語していた同年代の若者と一緒に村を出るために身体を許したら妊娠して…という、ある程度、予測がつく展開ですが、乾いた風景とそびえる火山、民族衣装とカクチケル語に魅了され、最後にどう着地するのか、楽しみにしておりました。
 
若者は独りで去り、結婚のために、何とか流産させようとする母の願いも空しく、お腹はどんどん大きくなる。農地では蛇が出て、作物が育たないので、また、追い出されるかもしれない。そんな時に母親が、妊娠している時には蛇も追い払える、と言ったことからマリアが蛇を追い出そうとして、噛まれ、街の病院へ運ぶために監督主任に頼む羽目に…。

街の病院でのやりとりは、すべてスペイン語で両親や娘が何を言っても通じない。ここでスペイン語とカクチケル語、双方が分かるのは、監督主任の男だけ。子供も無事に生まれたのに、マリアを自分の妻にするために「死産」だったと告げ葬儀まであげさせる。でも、棺が空なことに気づいたマリアが両親を通して、当局に訴えようとして…。
 
最後は予想どおり、悲しくも美しく終わりましたが、グアテマラが幼児売買ネットワークの拠点であることを考えると非常に複雑な心境に。
 
思い出したのは、2004年に公開された(と記憶している)ジョン・セイルズ監督の「カーサ・エスペランサ」。あれは、米国の子供が欲しい女性たちの視点から撮っていましたが、ラテンアメリカの子供を養子にするためにやってくる北米人たちへの批判にもなっていたと記憶しています。 
 舞台は南米のとある国でしたが(ロケはアカプルコ)、まさに、あれがグアテマラで起こっていることだと思いました。

養子縁組が簡単なことから、北米やヨーロッパから養子をとりたい女性たちが大挙する中で、乳児が誘拐されることもあり、80年代から、問題になっていたグアテマラ。
 
なので今のグアテマラで描くなら、そして、これがリアリティであるのなら、映画として、もう一歩、踏み込んで欲しかった、と思わずにはいられません。折角、カクチケル語で通しているのだもの。ああ、もったいない!!という感想。
 
この作品はサンセバスティアン映画祭のCine en construcción(制作中の作品賞)でも受賞していたので、後で担当者(女性)とも話しましたが、風景と民族衣装が余りにも美しく、ヨーロッパが観たいラテンアメリカで終わってしまっているところが何とも残念と。
  「ヨーロッパが観たい日本を撮っている某監督作品に通じるところあるね」と言われ、まさに!と納得した次第。

 げげげ、1本だけで、こんなに長くなっちまった!
 でも、ベルリンのコンペ初のグアテマラ映画、そしてブスタマンテ監督は初めての長編ということで、力が入ってしまいました。

ベルリン映画祭は折角行ったので、備忘録も兼ねて、あとの作品も書いていこうと思います。
(仕事は山積みなのだが、これをやらないと次へは行けない、みたいな感じがあるので)