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尖閣諸島ビデオ流出について思うこと

今みると19時間前、つまり昨日ですな、ツイッターで
私はこうつぶやいた。
「流出ビデオ、テレビ各局とも同じ部分の映像をこれでもか、と
流し続けているのが気持ち悪い。
YouTubeに一度アップされたら削除されても使い放題かよ。
TV局の映像なら著作権違反だと言うくせに。
流出映像使いながら、日本の危機管理体制なんて、
よく言うよなあ。」
テレビのニュースやワイドショーなどで、繰り返し
流されるYoutubeからと但し書きがついた映像に
辟易したと同時に、Youtubeを否定してきたテレビ局が
そこに「流出した映像」を、編集して使う、それが
当たり前になってしまうことに怒りと危険性を感じたから、
挑発的なつぶやきをしたのだが、
「著作権違反だと言うくせに」
という部分だけ切り取られて、
「著作権法第10条第2項により、
事実伝達にすぎない雑報や時事の報道は著作物でなく、
著作権法の保護下にありません。
問題のビデオも、公務の報告ですので同様。
著作権法違反で告発してないでしょ。」
と教えて下さる方もいて、
これにまた、問題はそこではなくて、と言うには、
140字では足りないので、上記のつぶやきの真意を
書いておこうと思った。
長くなるけどご容赦を。
まず、最初に、政府が、あの映像をなぜ公開しなかったのか
疑問なのは私も同じ。本来なら、船長を拘束した時点で
公開していれば、そして、中国と対等に渡り合うことが
できていれば、「流出」させなくても良かったのだから。
だが、現政権はその方法をとらずに、那覇地検の判断として
責任逃れをした。
「なんちゅう政府や!」と思う。
地検も海上保安庁も、さぞ、くやしかっただろうし、
私自身も、この隔靴掻痒な感じにイライラがつのった。
でも、だからといって、守秘義務違反を正義とする論調、
「国民の知る権利」を果たすためにやった
月光仮面だ(by 佐々淳行)というような論調に
同調することは、今後、私たち自身の首をしめることに
なるのだ、ということを考えるべきだと思ったのだ。
考えるべきなのに、大手メディア、特にテレビが
やったことは、「流出」ビデオを編集し、衝突部分だけを
各局がこれでもか、これでもか、と流すことだった。
Youtubeからは、すでに削除されていた映像である。
いつもは、自主規制だとか著作権だとかにうるさい
テレビ局が、今回は、Youtubeからという、すでに
Youtubeには存在しない映像を編集して、嬉々として
流したところに、気持ち悪さがあるのだ。
これが本物を入手して流すのなら、テレビ局側にも
それなりの覚悟があったはずだ。
きっと真摯な記者たちは、今回のことに落胆している
だろう。自分たちに持って来てくれれば、それこそ、
情報源を守り通したのに、と。
だが、Youtubeという従来のメディア以外のところに
アップされたことで、タガがはずれたかのように、
各局が同じ映像を流しだした。
この気持ち悪さは、テレビ局が「国民の知る権利」と
言いながら、何の覚悟もなく、公務員の「守秘義務違反」を
是としている立場に他ならない。それも横並びである。
いくら否とするコメンテーターを入れたって、
流した段階で賛同している意識がないのが、
恐ろしいのだ。映像を流すことで「是非」の議論に
なっていないことに気づいていない。
本当に考えようと思う局があれば、なぜ、この映像を
Youtubeにアップしたのか、メディアの役割って何なのかを
問うべきだ。テレビ局でも新聞でもなく、Youtubeに
アップするということは、どういうことなのか。
この件によって、それこそ本来の「国民の知る権利」が
脅かされることを指摘すべきではないのか。
内部告発なら、メディアにしてくれ!
自分たちは情報源を守り通す、Youtubeに上げることで、
政府が規制を強めるのに気づかないのか!と
訴えることも、ない。
すでに、今回の事件で「秘密保護法」や
国家公務員の守秘義務違反への罰則強化を
官房長官が出している。
以前に自民党が出していた「秘密保護法」が
反対していた民主党によって甦る可能性が出て来たのだ。
これでまた、メディアは、自らが一翼を担ったことにも気づかずに
政府への批判を強めるだろう。
まったくもって軸がない。
私は現政権を支持してはいないし、一票の価値が
とても低いところの住民なので、腹立たしさも
人一倍あるのだが、それでも、現在のルールで
選ばれた政権は、任期を全うすべきだと思っている。
これまで何度も首相が代わるという体たらくで
あったとしても、それを選んだのは私たち
有権者なのだ、という自覚を常に持ちたい。
政府は有権者の映し絵のようなものだ。
有権者以上に政府が良くなる訳がないのだ。
つまり、私たちがそれだけのものなのだ。
これは、ラテンアメリカの映画人たちとの
話の中で、気づかされた。
昨年のキューバ映画祭で出会ったウルグアイの
プロデューサーが涙を浮かべながら
「やっと実現したよ!」と言う。
元ゲリラが大統領になったのだが、それは、
有権者が待ち望んだ結果であり、早速、100ドルの
コンピュータを作って、子供たちに無料配布
することが決まった、と言う。
子供の教育と福祉、そこに重点を置く政府に
ならないと国自体が危うくなる、と皆が思った
結果だと。
どんな国になってほしいか一人一人がビジョンを持つこと。
ラテンアメリカで政治の地殻変動が起きているのは、
まさしく有権者が気づいた結果なのだ。
だから私は失望はするけれども絶望はしない。
現政権が任期を全うすることで、もう我慢できん!と
次への布石ができるかもしれないから。
そして、メディアの論調に流されず、
何が是で何が否か、はたまた、自分はどんな
国に住みたいのか、を具体的に描き続けていきたいから。
そう思っている自分にとって、
現政権を批判するために、冷静に分析するという
従来の役割を捨てて、民主主義の根本的なルールを
無視する(一個人や組織が暴走する)ことを良しとする
現在のメディアのあり方に疑問を呈したかったのだ。
歴史は繰り返す、ということを思い出したから。
作家の星野智幸氏のブログには、私が感じた怖れが
分かりやすく書かれているので、こちらも、ぜひ、ご参考に。