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都心で起こる不安の連鎖/ダメな私の独りごと

久々のブログ更新が、こんな形になるとは思わなかったが、
3月11日の地震以来、感じたことを書いておこうと思う。
被災地の皆様と救助にあたっている人々、自衛隊、消防、
警察や機動隊、病院の医師や看護士の人々の奮闘を見るにつけ、
自分の無力さをヒシヒシと感じて、へなへなと腰がくだけそうに
なる。
私は特にダメダメ人間なので、仕事が手に着かない。
余震のたびに心臓ドキドキなので、背中はバリバリだし
船酔い状態がデフォルトになっている。
独り暮らしのエキスパートだと思っていたけど、
同じような友人たちと、
「どこかで合宿したいね」と言うほど、
夜、独りでいると心細い。
独り暮らしの高齢者のことを思うと、どんなに
不安だろうか、と思う。
だから、何度も津波の映像を流し、被災者に対して
「どんなお気持ちですか?」と
聞き続けるテレビには、怒りさえ覚える。
はたまた、ツイッターやらネットではデマ情報も
流れ、海外メディアは「てえへんだ~!危ない!」を
連発している。
都心や被災地じゃない場所での買い占めも
ガソリンや燃料のように、後で高く売ろうとする
ふとどきな輩以外は、不安からくるものだと思う。
これまで豊富にあった品物がなくなることへの
不安に加えて、扇動的なマスコミの報じ方にも
問題があると思う。
コンビニやスーパーでの品薄は、在庫を最小限に
抑える流通の仕方も(まるでトヨタのカンバン方式みたいに)
関係しているだろうに、空っぽの棚ばかり
映すんだから。
もちろん、トイレットペーパー(なぜに、オイルショックの
時代から、これなのか分からないけど)やら、
電池やら、パンに米を我先に大量に買い込む人々は、
まずは物を充填することで、安心感を覚えたいのかもしれない。
だが、それで本当の安心感が得られないことは、
もう薄々分かっているのではないか、と思う。
それは何故か、を自分なりに考えてみた。
1)津波の映像によるパニック
地震の後で何度も繰り返し観てしまった、あの映像。
津波と言えば、いつも警報があっても、なんだ、
大したことなかったじゃん、というのが、これまでの
感覚だった。なのに、今回は「大津波警報」である。
そして、あの映像。
こんなことが起こるのか!どれだけ恐ろしかっただろう、と
思うだけで、実際に地震の揺れを感じなくとも
ストレスがたまると思う。
でも、観ずにはおれない。どうなってしまうのか。
余震は次々起こるし、震源も複数あらわれる。
おそらく日本中の人々が、テレビに釘付けに
なっていたと思う。
私も帰宅できなくなってうちに泊まった友人と共に
あの映像を観てしまった。テレビをつけていると
何度も何度も出て来るのに、「緊急地震速報」を
知るために、3日間は珍しくテレビをつけっぱなしに
していたから。
2)原子力発電所の爆発と放射能への不安
地震の翌日、12日、被災地の姿と共に目に飛び込んで
きたのが、福島第一原発の1号機の爆発。
海外はいち早く反応したけど、日本は、
何だかウダウダで、一体、何が起こっているのか
分からなかった。
その後、色々な学者やら専門家と呼ばれる人々が
テレビに出ては、「大丈夫」を言い続けたが、
観ている方にとっては「何が大丈夫なのか」
全くもって分からなかった。
私たちはこの1週間で「シーベルト」という単位を
覚え、1,000マイクロシーベルト=1ミリシーベルトだと
学習したが、最初は、伝わって来るニュースに、
マイクロとミリの混同も見られ錯綜していた。
そして、未だに毎時と年間の換算もせずに
直ちに健康に被害はない」と
テレビの人々は言い続ける。
放射能の恐ろしさは、すでに原爆で経験済みだろう、
と思うと、不信感よりも恐怖が先に立つ。
この「大丈夫だ」と言った専門家の顔を、シカと
覚えておこうとと思った。
そして今日、19日、もう今や何を言っても
信用できない原子力安全・保安院は、ついに
事故のレベルを5に引き上げた
放水は、まだ続いている。
そこで働く人々、何とか食い止めようとしている人々がいる。
高温の所に海水を入れたら、水蒸気が発生して
塩が残るのは、小学生でも分かるのだが、
それで閉まってしまったバルブを手であけている
人々がいる。
この綱渡り状態の中で、パニックになるな、というほうが
ムリかもしれない。
3)東海沖地震への不安
今回の揺れは、長年、東京に住んでいる私でも
経験したことがないほどの不気味さだった。
グラっと来た時に、渋谷のカラスが異様な声を
あげて飛び立った。私は「ついに来たか」と
覚悟したほどだ。
ずっと言われ続けているけれども、日常生活の中で
忘れていた最悪のシナリオ「東海大地震」
そして、余震だ、と言われるのに震源地が茨城、千葉、
静岡と近づいてくることによる不安。
「これ、本当に余震なのか?」という疑問が、
不安をつのらせる。で、その疑問は解消されない。
テレビでいくら「東海沖とは関係ない」と専門家に
言われても、もう不信感バシバシなのだ。
余震といわれる、静岡東部で震度6強の
地震があった15日夜、「浜岡原発を止めるなら今だ!」と
ツイッターに書いた。今なら理由がつくだろう、と。
(原発について思うことは、次に詳しく書く)
でも、止まらなかった。ますます不安はつのる。
4)上記3項目の不安のもと
これはもう、政府の対応やら東電の、おそらく
現場をしらない上層部の記者会見やら
マスコミへの不信以外のなにものでもない。
特に原発に関しては、不安を煽るから、と
いう態度こそが不安を増幅している。
だから何か情報を探そうとする。
米国が80キロ圏外への脱出を言えば、
外資系の社員は帰国し、東京から脱出する在日大使館や
チャーター便を用意して帰国させる国も出ていることから、
「おいおい、この反応の違いはなんじゃ?」と
余計に不安になるのだ。
私も、不安を解消するために、スペイン語や英語で
書かれた記事を読み、日本語で出された報告書を読み、
誰が信頼できるのかを探そうとしたが、所詮は
素人なのだ、ということが分かった程度だった。
それでも、「もし、こうなったら、こうしよう」という
自分なりの基準を持ったことで、不安は少し
和らいだような気がする。
実際に、行動に移せるかどうかは別にして。
5)不安と共に何ができるか
これは、今回だけではなく阪神・淡路大震災の
時にも思ったことだった。
「阪神・淡路大震災から16年目」
そして、その時、確信したのは、
自分にできることを、することだ。
阪神・淡路大震災の時には、被災地に
両親がいたから、実家で仕事は山ほどあった。
自分がしっかりせねば、と思ったから、
泣くこともできなかった。
でも、今回は東京で、これからの長丁場に
耐えうる体力と精神力を回復するために、
まずは、ちゃんと怖がって、泣いて、
それからでも遅くない、と思っている。
自分の気持ちが伝えられるところに
無理のない寄付をして、節電をして
家にあるものを食べるか、近所の
閑古鳥がないている、つぶれてほしくない店で
外食する。
元々、ウォシュレットもないし、テレビも
見ないし、エアコンもほとんどつけないので、
節電といっても、たかが、しれているが、
停電や断水やトイレットペーパーがないことが
当たり前のメキシコやケニアに住んでいた経験が
ここで役立っている。
もちろん、キューバもしかり。
そして、元気でいること。
自分が医者にかかっていては仕方がない。
だから、弱っちい自分を叱らない。
とっても優しくする。
一人でいることが怖かったら、友達と一緒にいる。
「ああ、怖かったねえ。今もドキドキだね」と
言い合うだけでも、気分が違う。
不安を認めて、直視したあとで、
溢れる情報に溺れずに再び立ち上がる。
こういう時に、人に対して、
「○○すべき」とか「○○すべきじゃない」
と説教たれる人々が多くなるのが不思議だけど、
それに傷ついたり惑わされるのは、時間の無駄だ。
疲労すれば、寛容ではいられなくなる。
衝撃をうまく受け止められなければ、後々、
精神や肉体に影響がでるだろう。
まずは、自分自身ができることをして、
日々を大切に生きていく。
それが、私にとっての第一歩だから。
そして、この文章を書けたことで、
遅まきながらも、やっと仕事ができそうな
気がしている。と、思ったら余震だぜい!